Brian Eno
僕は学校で美術を教えてるから、たくさんの画家のタマゴたちと話をするんだけど、こういう質問をするんだ:
Brian Eno
このキャンバスの端が自分のやっていることの終わりだとどうして思うの?
枠を考えてみてよ。どの枠の中で作業をやっているのか? 端っこの周りのちょっとした木の部分だけじゃなくて、自分のいる部屋、自分を照らす[部屋の]明かり、そして自分がいるその時間、その場所。どうやったらデザインを改められるかな?
ミュージシャンにも僕は同じことを言うんだ。自分達がやっていることの内部の詳細に時間をいっぱいかけて、世の中におけるその作品の配置の仕方にあまり時間をかけない。
『配置』によって僕が意味するのは、何もレコード会社への売り込み方とかじゃなくて、文化的な図式にあてはめた時にその作品がどこに行くか、そしてどこにぴったりとはまるかってことなんだ。それ以外に何に通じ合うと思うの?非ミュージシャンは音楽をやることにワクワクする-1日中でもじっと座って1つの音符をポロンってかき鳴らすだけでも充分満足-そしてその影響に対してもとっても敏感なんだ。
Brian Eno
非ミュージシャンは、本当に聴くってことをたまにするんだ。なぜなら、聴くってことだけが彼らにできることだからね。音楽って実は音の偶発的組み合わせで、その組み合わせの感情の共鳴[音]は、聞き手としての聴衆の個人的そして共通の過去に完全に左右されるんだ。
Brian Eno[単に]曲を作ってるんじゃなくて、仮想の映画のサウンドトラックを作っているんだと想像すべきなんだよね。
Brian Eno
映画のサウンドトラックって中心を持つ必要がない-映画そのものが中心-だから、こう思うといつも開放的な考え方になるんだよね。[そう考えると]純粋に雰囲気の音楽を作ることができるんだ。部屋の一室にたくさんの人が集まって一つの曲を作ってるとして、だんだんその曲に皆が没頭してきたら、ちゃんとまだ自分も注意を払ってるよって証明をしたいがためだけに何か言わないとって誰もが考えてる。だって、4時間もずっと角に座って何もしなかったなんて恥ずかしいでしょ。
Brian Eno
[くだらない]義務感で口を挟むだけじゃなくて、何か貢献できるものがあると純粋に感じる方が断然重要だよ。重要なつながりを切る。
Brian Eno
ほとんどの音楽作品って、全てを一緒にしておくドラムトラックとか単調音といった何か中心があって、そこをベースにしてるから、そのつながりを切るってのはとっても面白いことだと思う。音楽からその要素を取り出してみて何が起こるか見てみるんだ。自分のアイデアに恥ずかしがることなんてないよ。多くのミュージシャンなんて、誰か他のミュージシャンに似た音だってことで称賛されてるんだから。
Brian Eno
何か面白いって思うことをやってみても、他のひとはそうかなって顔をしてる。そこで、古いジェームス・ブラウンのリフをかけてみると皆『うわっ!まさにこれだよね!』って言うんだよね。
多くの場合、ミュージシャンってどこかで聞いたような音を作るように促される。[プロデューサーとして]僕がやっているのは、彼らがそうでないときにそのポイントで仕向けるってことなんだ。昔はよく言われた、完全に技術オンチのミュージシャンと芸術オンチのエンジニアを仲介し通訳する人間としてのプロデューサーってのはもういないよ。だって、今のほとんどのミュージシャンは3つの役割全てをこなすからね。
Brian Enoスタジオって可能性の絶対迷路だよ-何百万っていう順列でいろいろと何でもできるから、レコードを作るのに時間がかかるんだよね。
Brian Eno
[ここでできる]最も有用な事って、[作品に]取り掛かる前にそんなオプションを先に処分しておく事なんだ。普通じゃない結果がほしければ、早く安く仕事をするってのが僕のモットー。だって、そうすれば今までに誰も行ったことのないところに到達できる可能性が増えるからね。
Brian Eno
ほとんどいつもそうなんだけど、たくさんお金を使うと普通のものを作ってしまうんだよね。スゴ腕のエンジニアがやるみたいに、スタジオを音の顕微鏡みたいに使いたかったんだ。
Brian Eno段々とあまり出来上がっていない作品を持ってスタジオに来るように僕はなって、最終的には何も持たずに来るようになったんだ。ただ単にそのモノである『スタジオ』を楽器としてとりかかる。
Brian Eno
このプロセス以外に何もないよ-レコーディングって呼ばれるこのプロセスは、クリエイティブなプロセスなんだ。景色の前にキャンバスがあるわけではなくて、ここで今[まさに]その景色を作っていくんだ。自身の作品を検閲しないアーティストにはピカソ、マイルズ・デービス、プリンスがいる。彼等っていうのは、とにかく[世の中に作品を]出してみて、自身での批判的な検閲ってものは皆無に近いくらい何もしない。『市場が決めてくれ。世間が答えを出してくれ』ってね。この判断をするには最適な人物ではないかもしれないのにね。
Brian Eno
[でも、]これってある種の謙遜で、『俺ってすんごい才能あるよね』って言って傲慢なのと、『[作品の良し悪しを]判断するのは僕じゃないので』って言って謙遜しているのが混じり合ってるんだ。読み手が読む詩って、書き手が書いた詩よりいい可能性がある。
Brian Eno
自分がしていたと思っていたものより良いものになるものを作る努力をするんだ。コンピュータシーケンサーの大きなメリットって技術の問題をなくして判断の問題にしてしまうこと。
Brian Eno
キューベースやフォトショップを使って、実際に誰もが何でもできて、ラジオで流れてるようなものや、雑誌で見るようなものを作ることができる。
そうなると、どんな人間でもコンピュータの前に数日間座らされれば何でも作れるから、問題はできるかできないかではない。そうすると『これだけいろいろなことができるけど、どのやり方を使うか?』っていうのが問題になってくるんだよ。いつもやっていることをやってみてごらんよ、ただし、今回は心を込めてやるんだ。
Brian Eno
プロセスを認める。アーティストとして一生過ごしていくことを覚悟するんだよ。何かに対して、知っているようなでも同時にちょっと変わった風に感じるっていうカスプが僕はずっと好きなんだ。
Brian Eno
すごく変わってるからって、いきなり襲いかかってくることはない。でも、その反面、見覚えのあるそれに手を触れることはできない。それってとってもいい気持ちなんだよ。子供に話すとき、職場の同僚に話すとき、自分の彼氏・彼女に話すとき、近所のお店で女の人に話すとき、全て多少違った話し方をする。
Brian Eno
こういう変化を出すときって、自分達を聞いている世界の方からの理解を練習していて、なおかつ、このある会話が起こってほしい世界における自身の考えを投影しているんだよね。
考えてみると、これって人類が人生をかけて練習、リハーサル、そして上達させていった、ものすごくて複雑な才能なんだよ。音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を見たり、織物に感嘆したり、そういう時に価値のある経験をしたと[心の底から]感じると思わない?
Brian Eno
そしてそう感じる時って、その物体からではなかったら、その気持ちはどこから沸いてくるの?「文化」って僕達が別段しなくていいもの全てなんだ。
Brian Eno
文化って人がしなくてはならないことに付け加える無償の様式的な過剰[行為]でできている。
人は食べなければ生きていけないけど、別に作ったカレーをわざわざ銀箔で飾り付ける必要はない。また、体も動かさないとダメだけど、別に踊る必要はない。
文化は人間にとって生物学的動因だよ。生存問題全てを対処した後の終わりに付け足すだけの何かではなくて、いつもやり続ける事柄なんだ。音楽[自体]よりも背景を多く皆聴いてるんだよね。だから、僕の仕事は主に背景作りって言ってもいいくらい。
Brian Eno
僕の芸術とはトランペットの先から出てくる音であったり、レコード上に存在するだけものではなくて、皆が想像する僕や僕の人生、カリスマ性に密接につながるより大きな経験なんだよね。
「音楽」、つまり音のカケラなんて、全体の経験からするととっても小さな物にしかなりえなかったりする。
背景、つまり-パッケージ、伝え方、陶酔感、回し方、架空の話-[といったモノ]の組み立て自体が芸術になる可能性があるんだよ。ちょうど、香水みたいだよね...。マイルズ・デービスの音楽を聴くときに、耳に入る音楽のどれだけが音楽で、どれだけが背景かわかる?
Brian Eno
背景ってレコードの溝に実際に刻み込まれていない物、全てだよ。そこには曲の聴き方に影響するような、周りの人が吹き込むマイルズ・デービスはこんなにすごいんだっていう概念も含まれるよ。彼がどれだけ男前で印象的な人であったかとか、少数派ロマンチストのメンバーであったとか、チャーリー・パーカーと共演したことがあるとか、世代を超えて愛されているとか、複数の依存症を経験したとか、シシリー・タイソンと結婚したとか、服のセンスがいいとか、ジャン・リュック・ゴダールが彼を気に入ってたとか、暗い色の服をよく着ていてそれがとっても似合っていたとか、彼自身はあまり自分の作品の話はしなかったとか[、そういう情報を聞かなかったことにして彼の音楽を聴くんだ]。
当たり前のことだけど、そういう情報全てが彼の音楽を聴くときに影響するよね、言い換えれば、もし彼がオスロ出身のデブ暖房機器技師でも同じように感じることはあるかな?
音楽を聴くときって、音楽周辺にあるもの全てにも「聴く」ってことをしてると思わない?[プロデュースをするにあたって]どのようにやるかっていうと、そうされるべきであったけど、まだ今までにされていないことを見つけ出すやり方。それって、時には誰かがお茶を入れることを意味するし、また時には誰かが曲自体を完全に書き直すことを意味するんだ。
Brian Eno音楽ってちょっとありふれた業界になってきていて、今は[音楽を]やってる人もたくさんいるよね。あんまりワクワクするような状態じゃなくなってきていて、どちらかって言うと特殊化されてきているんだよ。僕は出来上がった曲を持参してスタジオに入ってただそれを弾くよりは、[あぁでもない、こうでもないって作る]その経験に直に集中したいんだ。
Brian Eno子供って何かのフリをしたり、他の状況に自分がいる時を想像したりして物事を学ぶ。そしてその想像[力]って文化の根底にあるものだよね。
Brian Eno
[でも]16とか18歳になった途端、自分が何をしているのかわかってる歳になったはずだからって急にそれを止めてしまわなければいけないかのような無茶な憶測が[世の中には]ある。でも、僕が面白いなって思う人たちって、そんな遊び[心]を今もずっと[持ち]続けている人たちなんだよね。何をしてもいいっていう完全に自由な状態になるっていうのは意外と難しくて、大変なスランプの状況に陥ってしまうこともある。
Brian Eno
時間がスケジュール化されていれば『さて今日は何をしよう?』なんて思うことはない。レコードプロデューサーって、臆病者にとっては最高の職業だよ。プロデューサーって称賛されることもあるけど、非難されるにはよっぽど酷い仕事をしないとダメなんだよ。
Brian Eno歌手ってアラビア人みたいなもんだよ。彼らは掃除機を嫌うんだけど、ここでいう掃除機って[歌手の場合]『自分が歌っていない時』って定義されるね。
Brian Eno料理ってラジオを聴く一つの手段だよ。
Brian Enoそのドラム[部分]を[注意して]聴いてみて-誰かが刑務所の牢屋の鉄格子をガンガン叩いてるみたいだろ。
Brian Eno最近レコードを作るのにかける時間ってみっともないくらいだね。でも僕はケチで手早く終わらせるので有名で、皆が僕と仕事をしたがる理由はここにあると思う。だって僕は『これして、これでいいよ、なんとかなるようにするよ』って言うからさ。
Brian Eno
全てのオプションを探索するのは問題じゃない。そのうちのどれか一つを完成させればいいんだよ。近代音楽において重要なのは、言葉やメロディではなくてその他の部分-質感、雰囲気、参考作品やその作品との関連性なんかを書き留められるかということ。
Brian Eno僕は何かを意味しているのかしていないのかわからないような意味のある事とない事の間の境界線にある言葉[歌詞]を書きたいんだ。
Brian Eno自身で[作品を]検閲する時って、悪いトコより良いトコを消しがちなんだよね。
Brian Eno強い意見って他の人にはとっても役に立つんだよ。
Brian Eno[レコードを作ることに関して]僕達は小説じゃなくて雑誌を作っているんだよ。
Brian Eno僕って[曲を]プロデュースしている時はいつもブツブツ言ってるんだけど、それって物事を変えられることに不満を持つ人々に対してなんだよ。
Brian Eno運って[その瞬間に]準備ができている状態のことだ[と思うよ]。
Brian Eno本当の理想は自身の理解を超えた歌詞を書くことだよね。
Brian Eno
そういう歌詞ってこれこそが歌って欲しい内容なんだよって感じるんだよ。でもなぜ[そう感じる]かはわからないんだ。最近、あるインタビューの最中に誰かが『言葉って何を意味する?』って言ったんだ。僕は[すかさず]『コードって何を意味する?』って訊き返したんだ。
Brian Eno僕がポップミュージックをずっと好きな理由って、あり得ない感情風景を作り出して、そこに人を誘い出して踊らせる力があるっていうのがまさにそう。
Brian Enoボノは大まかなミックスを作った後、それから数日間曲を聴いてみて考えて、言葉や歌詞の一行や一節を変えて、言い換えたり歌い直したりして、また同じプロセスを繰り返す。こんな風にして、彼は[曲に対して]パフォーマンス、姿勢・態度、人格を磨き上げるんだ。どんな人物がその曲を歌っていて、どんな世界にその人物が住んでいるのかを[そうやって]見つけるんだよ。
Brian Enoでも、(恐らくほとんどのレコードにおいて)ネックは歌詞書きだよ。なぜかって?だって、作詞家は音楽に重点を置いてそれでどこかを指すっていう本当に限定的な仕事だと思い込んでいる。
Brian Eno
言葉ってとっても鋭い物なんだよ。自分で何がいらないかっていうのはわかるし、今までに不要な共鳴や倍音と響いていない文化的な空間を見つけるのがレコードを作る際の多数のプロセスの課題となる。
Brian Eno
この空間とは、今までに誰も見つけたことのない新しい物かも知れないし、不意に新鮮に響きはじめる古い物かも知れない。『ハリウッド化』[当たりやすい作品の製作]これが物事を一様かつ合理的、そして全方向から同じように光を当てて、注意を払ってバランスが取られ、周知の公式に対しては全てスタジオで試験され、複数の委員会に口利きしてもらって、最後の最後には誇らしげに注目されないものができあがる[つまらない]プロセスだよ。
Brian Enoレコードは今自分がどこにいるか、或いは無数にある場所の中で自分がいるであろう場所を表す必要がある?
Brian Enoガレージで録音されたレコードを本当に作ってるのか、それともガレージで作られたレコードの雰囲気を思い起こさせるレコードを作っているのか?(映画監督がドキュメンタリの差し迫った感じを表す為に手持ち撮影のカメラを使用するのと同じ要領)
Brian Eno
レコードを聴いてる人が『このレコードはボロく聞こえるね』って言うのと『意図的にボロく聞こえるようにしたの?』って言うのとでは何か違いがある?サイケデリア、グラム、R&Bとソウル。これらのポップミュージック初期時代の特徴って完全なものの探求じゃなくて、異様な情熱、低予算、突飛な技術、質の悪い装置と自由奔放さだよね。
Brian Eno[U2のAchtung Babyをプロデュースしたことに関して]このアルバムのキーワードはtrashy[安っぽい]、throwaway[使い捨て]、dark[暗い]、sexy[せセクシー]とindustrial[産業](良い)で、earnest[熱心]、polite[丁寧]、sweet[優しい]、righteous[高潔]、rockist[ロックの最上級]とlinear[直線状](悪い)だね。
Brian Eno
歌がどこかへ旅立たせてくれたり、ハイファイ装置が壊れてるのかとでも思わせてくれるような出来だったら上等で、もしU2のレコーディングスタジオを思わせたようなら良くなかったね。“イケてる”人たちってのは端っこの方にいて、カッコ悪い人たちの失敗や成功を観察している(そして、そんな彼らについて書くんだ)。
Brian Eno古いアイデアに時間をかければかけるほど、そこにもっとエネルギーを費やす。そして、それがどんどん固まれば固まるほど、もっと新しいアイデアを考慮しなくなる。
Brian Enoビジネスにおいて誰かと取り引きする時、ある種の傲慢さが必要だよ。自分の作品に対して他人の判断は最終的に信用できないから、自分は[常に]正しいと思う必要がある。
Brian Eno
もし自分の判断がはっきりとわからないのであれば、他人の判断も自分にはわけのわからないものになるよ。どこかで埃まみれの文字が刻まれた石板を見つけて、埃をこすり落としながらなんて書いてあるのかを見てみる。こっちに一文字、あっちに一文字とね。そしてその二つの文字の間には何が書いてるのか想像するのかのごとく書くんだよ。
Brian Eno
[そして、そこで]唯一気をつけないといけない衝動っていうのは、短絡な意味に陥ってしまわないことだよ。音楽作品において一番重要な事といえば、人々が何かを探求し始めるポイントに誘い出すことなんだよね。
Brian Eno
仮に音楽がそれをしなかったら、[音楽って]何の役割もない。ただ単にそこにあるからと存在するだけ、何を言わんとしているかをはっきりと断言、或いは不明瞭過ぎる場合なんて、僕に言わせればそれは失敗作だよ。
そこの微妙な線に腰をかけるのってとっても面白いよ。歌詞の重要性って、まさに何を言っているのかではなくて、何かを伝えようとしていると人に信じ込ませる所にある。
Brian Eno
僕が思いつくいい歌詞ってのは全部、その歌詞について僕に質問してくれても何を言ってるのかわからない、でも何か感情に訴えるものがあるんだ。
[そういう歌詞って]聞き手が自身の[解釈や]意味を投影できるスペースを設けているんだよね。音楽の魅力において、前後関係の削除が重要なポイントの一つだね。
Brian Eno
予想もしなかった部分から何かが出てくる、或いは何かが現れてそれには何かある種の不思議さがあるといった具合に、意図的に前後関係を分解したり変えるんだ。今までに同時には聴いたことがない上に一風変わったモノを生み出すような一緒に混ぜ合わされる成分があるんだよ。レコーディングスタジオで電子媒体を扱っていると、判断力が重要になって、技術はあまり重要な問題じゃなくなってくるんだよね。
Brian Eno高額なスタジオ代からくるパニック影響には注意したほうがいいね。
Brian Eno
人によっては、益々結果に執着するようになって、どこにも行きつかないような[無駄とも思える]実験的な活動に徐々に携わらなくなる。
結果として、今までに試行・実験済みの技術、つまり無難な道に重点を絞る人もいるんだ。再現や重複って絶対に存在しない。
Brian Eno
人の心情に関して言えば、技術上の観念からして何かが完全に同じあっても、同じことが二度と起こることはない。人の認識は常に変化している。いつも同じ場所にあることはないんだよ。ミュージシャンやその他のアーティストも少なくとも2つのタイプの思想と常に関わっている。1つは美学的思想(何が心地よく聴こえるか?どのタイプの音楽をやるのか?)そしてもう一つはその努力に対して報いる、もしくは報わない[報酬に関する営利・]経済的思想。
Brian Eno
気に入らない物ができあがってきた時、今あるシステムを他の形になるように押し込めるよりは、代わりとなるシステムを作り出すことにエネルギーを使った方がいいよね。
それって非営利目的の音楽に[自分で]発表の場を設るとか、自分独自の微分音スケールをデザインするとか、何でもいいんだよ。何かの構造を理解すればするほど、その中の微小な動きに感動し驚かされる。その意味では、可能性は無限だよね。
Brian Eno何か作品を世に出すときって、ある程度の期待を持って送り出すんだよ。
Brian Eno
(エノ氏はラップグループのデラソウルの最新アルバムを自身のポケットから取り出した。)
このグループがこのアルバムをリリースした時、どこが聴き所かっていうのをはっきりとさせたパッケージで出したんだ。これはマーラーやスタン・ケントンを聴くのと同じようには聴けないからね。芸術の世界にいる人々って一番大きくてわかりやすいターゲットを狙って、ど真ん中に矢を当てたがる。
Brian Eno
でも、どの人もそこを狙ってるもんだから、もちろんそこに当てるのは難しくてお金もかかる。
僕の場合、まず矢を打ってみて、その周りにターゲットを描くんだ。すると最終的に自分にしっくりする場所を作ることになるんだよね。リスクの一つに、人が意見を述べることを極端に嫌がるっていうのがある。
Brian Eno
芸術の世界、特に今だと絵画の世界で、自分が間違ってるかも知れないと思って、何かを好きじゃないって言うことを人々が怖がるんだよね。ベースギターは出てくる箇所は少ないけど、でもすごく重要でもあるから僕は大好きだな。
Brian Eno音楽とは聴けるモノではなく、録音できるモノに段々と範囲が限定されていっている。
Brian Eno生きていると、たくさんの[機会や]可能性に直面することがよくある。そこで人ができる事と言えば、簡単に決断できるものを選んで、後からその選択を自分に合うように変えるって言うのが最善だろうね。[そうすると]びっくりするような結果がついてくる面白いところへ行くこととなるよ。
Brian Enoクラッシック音楽って、純粋性とその辺の音との違いにすごく重点を置かれてるよね-[クラッシック音楽の]何がそんなに音楽的であるかというと、故意にこの世に存在しないような音になっているんだよ。
Brian Eno
ポップ音楽はその逆に流れてて、世界をもっともっと吸収していってるんだ。まずそこに入るべきものを人工的に創作して、世界を逆に創作することもできる。
Brian Eno
その世界にはどんな音楽があるかを考えた後、音楽を作ると、その音楽の周りに勝手に世界ができあがるんだ。アーティストになるには2種類の方法がある。一つは、ランディ・ニューマンやジョニー・ミッチェルのように、ある一つの道を探求するやり方。彼らっていうのは、ある[得意]分野があって、そこを事細かく極めていくんだ。『これは僕[私]の言語で、今からもっとうまく喋れるようになるよ』って言ってるみたいなもんだよ。
Brian Eno
僕はでもその手のアーティストじゃないんだよ。人が喋れるその他の言語に関して、他の話し方を提案する時に本当にワクワクするのが僕なんだ。自分で納得するほど、アイデアがこうでないとって一旦浮かんできたら、それをずっと酷使して使い続けるのは絶対イヤ![その手法を]使うのをやめるっていう意味ではなくて、専属的に‘僕のモノ’ってしてしまいたくないんだ。レコーディングスタジオをただのツールとしてではなく、概念的思考の研究所だと考えてごらんよ。
Brian Enoジョン・ケージは雑音ってものはこの世に存在しなくて、今までに[面白いと思って]鑑賞したことのない音楽であるだけなんだと人々に気づかせてくれたんだ。
Brian Eno作曲とは自分の哲学を形にして芸術って呼ぶ手段の1つだよ。
Brian Eno[創作作業を]やり続ける醍醐味って言うのは毎度毎度素晴らしい作品を作るっていうのではなくて、[素晴らしい作品を]作れるその時が来るまでいつでも準備OKの状態でいることなんだよ。
Brian Eno
『今日はいい考えがちっとも浮かばないから、ちょっとクスリでも吸ってみるか』なんて言う必要は一切ない。たくさんの物がお互いに衝突し始めるその瞬間に対して油断せずに備えるんだよ。
モノづくりには多くの要素が使用されるんだよ。[そしてそんな要素とは]ちょっと面白いなと思うような突然の技術的な事柄に関する考えだったり、気分やムード、天気や友達との会話だったりする。そんないろいろな事が同時に起こる-でもその瞬間は長く続かない。これって軌道上の物と同じでまた動き去ってしまうんだよ。人は知識を増やすと同時に失ってもいるんだよ。学習をすると同時に、何かを捨て去ってるんだ。新しい確信は新しい疑念でもあるんだよ。
Brian Enoレコーディングスタジオでできる独特な事[の1つ]に、エコーがある。当たり前だけど、エコーってどこかの場所を連想させるよね。でも『地[球]上』の[実際の]エコーって、存在できうる何物にも全然似てないんだよ。で、そんなエコーだけど、僕が使う時は70秒の[エコー]反響にするんだ。自然界にも人工でもそんな[長い]ものは[実際には]存在しなくて、とっても長い反響を持つ[ことで有名な]タージマハルでさえたったの12秒。それでも[その70秒の[音の]減衰]は、ある種の空間を人に連想させる。それって[かなりの]脚色が付けられてるって事なんだけど、ちょうどフェリーニ氏が[自身の映画の中で]女性の胸を大きく描くのと同じ要領なんだよね。
Brian Enoフェリーニの映画と自然主義に何のつながりがあるか?彼は映画の中で記憶のあいまいさを取り扱っている。それって自然主義からすると逆行しているよね。つまり物事を架空かつ原型的な状態に持ち上げているんだよ。もっと夢みたいな状態にしておかないと。僕がすごく好きなのは[夢みたいにぼんやりした]その感じなんだ。
Brian Eno音楽を手がける際に、ある一定の材料を入れたら、急に思いもよらなかった形に反応する。その反応に敏感であれば、そこから[創作活動の]作業を始める。[逆に]鈍感であれば、その反応結果を消し去ろうとするだろう。
Brian Eno
多くの人に言えることだけど、出来上がった物はこうでないとっていう固定観念があって、脱線することを認めない。そして何度も何度も自分の気に入ったところに行くまで音楽を型にはめようとする。こうすると結果として大抵、面白くもなんともない音楽-或いは面白くもなんともない何でもないものになっちゃうんだよね。アイデアを客観視するとすぐに、自分の頭の中で浮かんでただけの時には明確ではなかった面が見えてくるんだ。
Brian Eno自分自身の過去を想うことの問題点なんだけど、[自身の]起源を忘れて過去の自分に対して無駄な畏敬の念を抱き始めることなんだよ。
Brian Eno自分に馴染みのプロジェクトを推し進める熱意は僕にはないな。
Brian Enoファンって保守主義になっちゃう大きな力になりうるんだよね。
Brian Enoいろんな事柄[や可能性]について話をするのが僕は好きだね。とっても興味深いと思うんだよ。
Brian Eno文化っていうのは本能からかけ離れた人間行動の全てだね。ガーデニング、料理、様々なファッション、建築物等、僕達がなす事やる事の全ては文化なんだよ。
Brian Eno
特に音楽についてはそうなんだけど、アーティストがよくやる(しない?)ことは世界の文化に目を向けるってこと。音楽は何かを表現するのではなくて、(多くの場合)他の音楽のことなんだよ。まずグチャグチャの状態に自分を落としいれることで開始して、そこから抜け出せるかを見てみるんだ。
Brian Eno
最初の第一歩が素晴らし過ぎたら、それはそれで問題でさ。その後が続かなくて、[その素晴らしいのを]台無しにするのが怖いんだ。
だからグチャグチャの状態から始めるってのはいいんだよ-[それでもって]僕は結構[そのグチャグチャの状態から抜け出すのが]うまいんだよね。僕を白紙の状態にしてくれるような物を作りたいな。自分の中に真っ白な[新しい]気持ちを作り直してくれるような[何かを]ね。
Brian Eno自分の今までの成功を再現することはできないよ。だって、その[結果や]影響を生む作業の一環には偶発の出来事を起こすってことが必要となるからね。
Brian Eno僕が[音楽の]速度を変えるのが好きなのは、アッパーハーモニックを聞き取れる範囲に持ってきてその周波数を半減させて、僕が気に入っている音の音色を変えるからなんだ。
Brian Eno音楽に沈黙がないっていうのは、絵画に白も黒もないってのと同じだ。
Brian Enoどのファッションにおいても、誰かに成りすますっていうことをしているのかもね。ある種、別世界に住んでいるって言うのかな。
Brian Eno
僕が服装を選ぶ時って、事実上ロールプレイごっこをしているんだ。そして、自分自身と自分以外の世界の皆と何らかのゲームをして遊んでいる。何かの模擬実験装置に入っていくような感じでね。
そこで僕は『このタイプのメガネをかける人に成りすますのってどんな感じだろう?』って言ってるんだ。作り手として、聞き手の必要とするものの2倍くらいを入れてしまう傾向にあるんだ。これって現在の製作方法からくる兆候だと思う。その昔、レコードを使ってた時代にはこんな問題はなかったよ。
Brian Eno
今ある[レコーディング]施設って、穴という穴に全てプラグを差し込みたくなる-結果、もっともっと[プラグを]差し込んでしまう。でも、聞き手としてはそんなに多くのものを望んではいない...もっとシンプルで、オープンで、スローな物を受け入れることができるんだよね。
今までに、作品を一旦作ったけど、最終的に半分くらいまで速度を落として仕上げたことがよくあったよ。周知の事実というか、ある意味、誰もがどうなってるかわかる内容って、いつも面白くないんだよね。
Brian Eno
音楽において僕がいつも好きな特質と言えば、ワケわかんない感っていうのかな...『あ~、なんでかわかんないけど、これが好き』[っていう感じ]。
人が作曲家になる理由の一つに、自分をわくわくさせるようなものを作り直したいっていうのがあると思うんだ。自分自身でも『うわ~、これどっから出てきた?』って思えるような何かをしたいんだよね。音楽を書くにあたって『集中』っていう行為自体が、[音楽を書くのを]とっても難しくさせるよね。[音楽の]アイデアって普通集中していない、ある意味『オープン』の状態の時に浮かぶんだよ。
Brian Eno組み合わされた音を変えたり修正したりするための簡単な装置として昔から使われているスタジオの個々のユニットは、それ自体を楽器として使用されることも可能だよね。
Brian Enoスタジオのドアに『このスタジオは楽器の一種である』って看板がかかってれば、[ミュージシャン達は]レコーディング作業に対して、全然違ったアプローチを取るだろうね。
Brian Enoロックミュージシャンの中には、音楽について語ることを本当に嫌う人もいるみたいだね - 音楽について話をすると、魔法が消えてしまうとかそんな風に思ってるみたいだけど、僕は同意しないな。
Brian Eno
何かをするにあたって自問自答できる[自信が自分にある]のであれば、するべきだと僕は思う。
何であれ[揺らぎない]充分な強さを持つ物は、どれだけの分析でも耐えられるはずだよ。歌の形ができ次第、僕は紙にその歌の構想を出して、言葉が欲しい場所全部を描きだして、ざっと[曲を]流してみて、頭に浮かぶもの何でもただ歌ってみるんだ。 で、好きなフレーズに出くわす度に、その紙に描いた構想のそれぞれの場所に書き込む。
Brian Eno
すると徐々に、半分あやふやな言葉の断片で構成されたある意味“奇跡”の文書にたどり着く - 後はそれぞれの歌詞が何に関してかを考えて再構成して、空白部分を埋める作業をやるだけ。これって実は自動[歌詞]執筆[みたいなもん]なんだよ。僕の好きな曲は全部、理解に苦しむような歌詞がついてるものばかりだね。
Brian Eno
なんでそんな曲が好きかって言うと、何かを伝えようとしているように思えるけど、明確ではないんだよ。特別なメッセージはなくても、歌にははっきりとした感情を与えるんだ。僕の奥さんの家族はとっても物静かなんだけど、その皆と一緒にいた時にジェスチャーゲームを始めたんだ。すると10分もしないうちに皆は何々のテーマだの言って振り付きで歌いだしたんだよ。
Brian Eno
[ゲームをすることによって]『自分の枠を出て無礼講』っていう状況になったんだろうね。それって悪い人生観じゃないねって僕はその時思ったんだ。僕がやることの一つに、文章の真ん中に複数の切れ目を入れてみたりして、言語を切り刻むってのがあるんだ。
Brian Eno
いくつかの言葉--空白--また他の言葉--また他の言葉を6つ--空白--他の言葉2つ、といった感じでね。
だから言語が本当にバラバラになっちゃうんだよ。英語を母国語としない人たちは、言葉[英語]をまた妙で未知なものにしてしまうといった点で、英語を母国語とする人、つまりネイティブたちよりもずっと面白い[言葉の]使い方をよくするよね。
Brian Eno
自分も英語のネイティブで、他のネイティブが話す英語に聞き慣れてたら、[会話を耳にしても]特になんとも思わないけど、急に外国人が自分の母国語を話すのを耳にした時、 強弱が変わったり、関係が変わったりと言葉のバランスが変わるんだよ。すると、また言語をよみがえらせて、新しい意味を生み出し続けるんだよ。言語は未だに14世紀くらいのままなんだよね。僕は音楽も言語も好きだし、言語の使い方も好き。だけど、なんらかのオリジナルな形でやりたいんだ。言葉を扱う人たちって言うのは大変な仕事だよね。それ[言葉]が音楽の鋭角になる。つまり、音楽が他にどんな事をしてても、言葉[歌詞]があると多くのリスナー[聞き手]にとっての音楽の焦点になってしまう。そして、言葉[歌詞]で[音楽をも]台無しにすることもある。言葉[歌詞]がまずいと、全体を完全につぶしてしまうこともあり得るんだよね。
Brian Enoディレクターとして俳優に指示を出す際、『じゃ、腕をこんな感じで相手の方に動かして』って指示することもできれば、『自分の役柄を想像して役に入ってみて。ここでは相手にどうすると思う?』って訊く事もできる。僕の言わんとしてる事がわかるかな?作曲の過程で一歩さがるような感じなんだけど。物の明確な正体を明かしてしまうのではなくて、その正体を作り出る小さな種[ヒント]を明かすんだ。[そうすれば]いちいち実際に細かく書かなくてもいいんだよ。
Brian Eno膨大な長さの音楽史において、耳に馴染みのある楽器の組み合わせ、例えば、ジャズピアノの音、ライドシンバルなんかは、聴いてすぐにどのようにその音楽が作られたかの想像がなんとなしにつく。その中で、僕はそれらを全く異質な世界であり、その音楽に属したことのないような世界である電子的風景に当てはめてみるんだ。
Brian Eno僕の友達は、近代音楽って宇宙旅行の一種だよっ言うんだ。なんでかって言うと、音楽で宇宙空間のような所へ、つまり、新しい妙な音やあり得ない景色を見ることができるんだよ。近代の作曲家は・・・自然には実際に存在しないような心理音響空間を生み出している。なので、外界への一種の宇宙旅行なんだよね。もちろん逆方向の内側へ、つまり自分達の魂の中にある新しく奇妙な精神的空間、言わば精神世界への旅行もあるよね。
Brian Eno僕の作るものは何かの始まりとなり、強い土壌になると信じたいんだよ。そして、僕よりも少なくともユーザー(聞き手)の心に残ると願いたいんだよね。僕の手元を離れても、[どんどん]成長していく種を植えたいんだよ。[僕の作った]音楽が僕が去った後は[それ以上変わらず]そのままであると考えるのであれば、なんで[世の中に]公開する必要がある?音楽が成長し、作者なしでも面白い人生を送ることを祈って公開するんじゃないのかな。[僕にとっては]子供を持つ理由と同じだよね。
Brian Eno何かを実行する時はいつも計画を立てたい性格なもんだから、一旦実行に移されたら、僕の介入はほんの少しか一切なしでも音楽が作られるような状況やシステムに惹かれるんだよね。つまり、プランナーやプログラマーの役割をした後、[実行後の]結果に対する聴衆にまわる傾向にあるんだ。
Brian Eno文化ってものをすばらしく大きな庭と考えるなら、やっぱりそのコンポスト[肥やし]もなきゃダメだよ。多くの人が劇的でもなければ先鋭的でもなく、ましてや特に面白いとも思えないことをしていて、言わば消化過程にあるんだよね。たくさんの細々した物が組み合わせられたり試されてるんだ。同じように音楽を考えてみると、二度と聴きたくないって思える物がたくさん[世の中には]あるって認めたほうが考えやすいんだよ。[物事とは全て]起きては過ぎ行き、何か他の物が成長するコンポスト[肥やし]になるんだよ。
Brian Eno前衛音楽って研究用みたいなもんだよ。誰かがやってくれてありがたいけど、別に強いて聴きたいとも思わないような音楽でさ。僕からすると、北極に人類が到達して嬉しい[けど、別にそれ以上の感想はない]と思うのと似てるよね。北極が存在するとわかったことで、この[地球という]惑星に対する僕の知識を広げてくれたけど、かと言って北極に住みたくもないし、実際に行ってみたくもない。でも、それは境界条件なんだよ。
Brian Enoものづくりには2種類のやり方があって、一つは難しく、あと一つは簡単な方法。難しい方は、個人のアーティストが、言わば自分の領域を築いていくやり方で、一方、簡単な方法と言えば、慎みを持って昔からのやり方で、大きな開発・革新をするでもなく、1日に200個の部品を作るやり方なんだよ。僕がゴスペル音楽を好きな理由の一つに、歌っている人たちが気難しいアーティスト面[ヅラ]をするでもなく、[後者と]同じような謙虚さを感じることがあげられるんだよね。民俗芸能には良く見られるような新鮮さと感動がそこにはあってね。 自らの声域の極限[とは無意識であるの]と同様に、たくさんの全く無意識な要素で作られたモノをやっているんだよ。
Brian Eno音によっては、いろんな意図を背負わされ過ぎてその音の[本当の]意図をこちらが聴きわけられない物もある。歌詞がそのいい例で、不可解でも何でもない物に、いつも何か余計な意図をくっつけるんだよ。
Brian Enoありがちな情報って何度か繰り返し聴いたら、しっかり聴くこと自体を人はやめてしまう。そんなありがちな[聞き飽きた]情報を[耳が]受け付けない時っていうのは、何かをしばらくの間ボーッと見つめている時に似ていて、しっかりと実際に見るという動作をやめているんだよ。変化を遂げる様相には気づいても、ちゃんと目に映らない静的な要素には気づかないんだよね。
Brian Eno今まで人々が音楽として聞いたこともないような奇妙で得体の知れない物を作り出したいというのが始まりでした。
Brian Eno